行く記憶の流れは絶えずして

戻ってこないのでメモするところ

必要悪という存在

 

今年は転職&引越し&一人暮らしという私にとってのビックイベントがあったのですが、

それを上回るイベントが近々ありそうです。

 

祖母の逝去です。

 

祖父のときは入院後1週間くらいでしたが、今回は2ヶ月くらいになります。

すでに点滴と呼吸器で生かされている状態で、あと1週間もつかというところ。

回復の見込みは当然なく、いつ亡くなってもおかしくない状態。

見てて辛いです。

父が病院のスタッフにあとどのくらいと聞いてもあやふやな返事らしく、

そのあたりはぼかすよう指導されているのではないかと思います。

やはりそのあたり明言すると面倒になる人間がいたのではないかと思います。

 

前置きはこのくらいにしてここでタイトル。

 

ボトルネックになっている物事というのは、アンタッチャブルな話が多く、

肯定したり具体的に話すことが憚られる空気だったりします。

( 決定権を持つ当事者はだいたい感情的になりマイナスの出来事を考えたくないのかな、

 祖母の死という出来事の当事者であれば私もそうなると思います )

それでも覚悟を持って話を持ちかけるととやっぱり悪役にされますが、

何も対策しないより好転する、気持ちの整理は出来るはずだと私は考えます。

 

今回の話では延命処置や遺産(相続税対策)の話がそれに該当します。

やはりアンタッチャブルで不謹慎扱いされます。

 

それでも損得を抜きにして、決定権を持つ人間が満足すればいいのか?

延命処置を続けて遺産の話は触れないほうがいいのか?

私は家族の財産を国にとられるほうが悔しいのですが。

( 納税の義務の話もあるのでとられる、というのは語弊がありますが、

 税率が変わる閾値をぎりぎり超えてしまうとかは悔しいと感じます )

 

ローマ時代には戦に勝ち凱旋パレードをする将軍に対し、「死を忘れるな」と

言い続ける役が存在したようです。浮かれず気を引き締めろ、と。

 

気持ちの整理が出来てないままだらだらと書いてしまいましたが、

やはり私は「死を忘れるな」、見たくないものも見るべきと言う立場でありたいです。

何より、感情的になった人間につけこむ人間が嫌いであり、

見たくないものを見ていれば多少は防衛できると考えています。

感情を金銭で処理できる、という考えもあるので難しい問題ですが。

 

ちょっと考えが整理できてきたのでここまで。

人それぞれなんて言葉で片付けない程度には考えをまとめたいですね。